葬儀と仏教のつながり

仏教にはもともと葬儀は存在しない

釈尊(しゃくそん:釈迦)が亡くなったとき、臨終を迎える際に弟子のアーナンダ(阿難)が釈尊に「あなた様の葬式はどのように行いましょうか?」と尋ね、釈尊は「葬儀などは私の信者の方々に執り行ってもらうから、お前たちはそのようなことに心わずらわされず修行に励みなさい」と答えたと『大般涅槃経』に書かれています。つまり、葬儀は出家者(僧侶)の役目ではなく、在家の人々の役目だったと言われています。仏教の教えとは、因果の理法(作用や現象における原因と結果、そしてその関係性)を知り、物や自我への執着によって生まれる苦しみから自由になることです。葬儀と直接的なつながりはありませんでした。

仏教と葬儀が結びつく以前は、地域ごとの独自の民族信仰に基づく葬儀が行われていました。古代より「死は穢れ」として忌み嫌う習慣があり、多くの場合は「遺棄葬」という死者を置き去りにする方法でした。一般民衆の間では、儀式と呼ぶようなものもありませんでした。

仏教と葬儀が結びついた2つの理由

仏教と葬儀が結びついた1つの理由は、密教との結びつきです。密教のもつ加持祈祷や祭礼は真言宗や天台宗、そして禅宗に取り入れられ、密教の対極にあるともいえる曹洞宗にも取り入れられました。

2つめの理由は、儒教の祖先崇拝思想と結びついたことです。孔子の説教を中心に成立した儒教は、中国の国教といえるほどに中国人に多大な影響を与え、日本にも4~5世紀に伝わり、聖徳太子の政治思想や律令制に影響したと言われています。禅宗は中国で確立した仏教なので、祖先崇拝思想は当然のこととして取り入れられました。

祈祷や祭礼、そして祖先崇拝思想が融合され、曹洞宗の僧侶たちによって仏式葬儀の基礎が作られたといえます。

さらに江戸時代になり寺請制度が設けられ、現在まで続く檀家制度がはじまります。民衆は檀家となることが義務付けられ、この檀家制度が仏教葬儀を一般にも大きく広めました。葬儀の方法は、中国で編集された『禅苑清規』という書物に、すでに悟りを開いた僧侶向けの「尊宿葬儀法」と修行中の僧侶向けの「亡僧葬儀法」がありました。修行中の僧は在家に近いということから「亡僧葬儀法」を在家信者の葬儀に応用されたといわれています。禅宗において在家のための葬儀の方法が確立され、日本の社会全体に広がりました。

このような背景のもと、江戸時代初期に各宗派が各々の葬送の形式を作りました。ゆえに葬儀の方法や経典も各宗派で異なるという状況がうまれたのです。